「〇〇があるからできない」が可能性を狭める
好きなことややりたいことが見つからない人は多いです。
私もそのひとりです。
だいたい、好きなこと・やりたいことしなはれ!って言う謎の勢力多すぎ! 面倒すぎ。いきなり何なんだよって感じじゃないですか?
生まれたときから閉鎖された村で暮らし、村以外のことは何も知らずに、いずれは自分も村で子供を産んで、成人した子供に看取られて死んでいくのだろう、そう、先祖たちと同じように…と思っていたある日「もう村はなくなるのよ、これからはどこへなりと行って、好きにお生きなさい」と老母に言われた…そんな感じです。(何この妄想)
なんとなく義務教育を追え、大学を卒業し、適当に就職して…ここまでは何の問題もなかったのに、いきなり「さあ、これからは全部自分で考えて決めなさい」って、むりげーじゃない?
最近の若い人と話していると「何になりたいか?」とか「10年後どうなっていたいか」みたいな話をしていて、本当に目が覚める思いがします。そういうことを議論したり、思考したりするのが当たり前になっているんですね。
前置きが長くなりましたが、好きなこと・やりたいことを見つけることって、実は簡単なんでしょうね。
ただし、「身軽なら」
これ好きかも、これやってみたいとちょっと思っても「でも〇〇がある(あるいはないから)からなぁ」がすぐに打ち消してしまいます。
仕事が忙しいからな~お金がないからな~そんなことやってる暇があれば〇〇やったほうがいいよな~それより家の掃除が先だよな~資格ないしな~などなど…
孫悟空の頭の輪みたいに、自由な思考を始めると締め付けてくるこういう制約のようなもの。
これがなければ、私だって好きなことができる、やりたいことがやれるのに!
ただですね‥‥多分、おそらく…
この制約って、だいたい頭の中で作り出した幻覚なんですよね。
私は最近「絶対にやめられない」と思っていたものを3つ辞めました。
SNS、NPO、精神的にキツいけど割のイイ仕事です。
辞める前は「大変なことになる、恨まれる」「こんなに根性がなくていいのか?」「続けていればいイイことあるやろ」等、色々な思考が沸き上がってきて行動を阻みました。辞めたらどうなるのか?デメリットを考えるといくらでも思いつきました。
でも、辞められたらどんなにいいか、ということも常に考えていました。
思い切ってNPOを辞めました。
悪いことは何一つ起こりませんでした。
思い切って、ほかのことも辞めたけど、なーーーんにも起こりませんでした。
そして、やりたいことが現れました。それがユーチューブです。
辞めるとやりたいことが出てくる!
これはきっと間違いありません。