フリーランスの「タダ働き」OKの境界
やってもいいタダ働きも、私はあると思います。それは、主導権を握っているのが自分の場合です。
独立したてで右も左もわからないとき、タダor激安(※)で仕事を悪意(悪いと知りながら)でやらせる人々が現れます。
※以降、タダ働きと書きますが、相場よりはるかに安い価格で依頼される場合も同じです。むしろ、激安でも払っている人のほうが罪悪感がなく、厄介だったりします。
「実績になるからやってみなよ」をはじめ、「お試しで」「顔を売るのに役立つよ」「集客に私の名前が使えるよ」などメリットらしきものをセットでチラつかせてきます。
おかしくね?と思いながら、タダ働き+激安働きをしまくった結果、手元には借金だけが残りました。メンタルも体もおかしくなりぶっ倒れました。
メリットは?
元々できることでタダ働きしてきたため、技能や技術が身に着いたということもまったくなく、実績も人に誇れるようなものは何一つできませんでした。何の成果も得られませんでした。
タダ働きはやっちゃいけないです。
「金、金いうな! 力もないくせに」「お金じゃないんだよ」と言われたところで、うるせー黙れ!と蹴散らすのが最善策となります。
逆・金銭感覚狂う場所
なぜ延々、タダ働きを続けてしまったのか? それは私に自信がないのと、おばかさぁんなのはもちろん、それが当たり前の環境に身を置き続けていたためです。
NPO活動を5年近くやっていました。
無償奉仕するべき、だってうちらNPO(非営利法人)やし!というメンバーとともに、あなた方はタダで尽くすのが当たり前、という利用者様に対応していると、だんだんタダ働きis正義に見えてくるのです。
逆金銭感覚狂う場所、それがNPOでした。
何も得ることのないまま、だらだらと不満だらけで働いていました。
それでも、お金をもらっているやつらは汚い、私は清廉潔白!と思い込まないとやっていられませんでした。
いいえ、本当は、そう思い込むことで、本音を覆い隠していたのです。
実際には「お金を受け取るのが怖い。もし受け取ったらそれに見合う責任を負わなきゃいけない」という恐れがありました。
このあたりのゆがんだ心理に気づけたのは、投資家の藤野英人さんの本のおかげです。
タダ働きが正義なワケありません。働いている人はすり減っていくだけです。現に、全員貧乏でした。心も荒んでいて、メンバーの人間関係も最悪でした。
このように、タダ働きのプロフェッショナルであり、今ではタダ働きを憎み、すべてのタダ働きを駆逐してやる…と意気込んでいる私。それでも、全部のタダ働きが悪いか?というと答えはNOです。
いいタダ働きと悪いタダ働きの違いはどこにあるのか?
知人に、凄腕のフリーランス広報がいます。気になる企業にカチコミ、ただでいいから仕事をさせてくれないか?と交渉。まったくの素人から、そこで積んだ実績を看板に、今では依頼の耐えない人気広報になりました。
このように、自分に目的や、リターンが明確にある場合には、払う対価より得るものがはるかに大きいでしょう。本来お金を払って学ぶような知恵や技術が、少しの労働で手に入るということですから。ラーメンを食べたいけどお金がないから、厨房で皿洗いするようなものです。(この例えいらないか?)
つまり、自分に主導権があるときにはよいタダ働きだと思っています。
ちなみに、「タダでもいいから」と言われた企業も、しっかり報酬を支払ってくれていると言っていました。
しかしながら、当初は「とにかく稼げればいい」「早く実績を作らなきゃ」という焦りがあって、大きな目的が持ちづらいです。
実は、上記の「タダ働きでいい」と言った知人は、大企業に勤める会社員で、独身です。
だからこそ、お金に困っていないし、誰かに迷惑をかけるということもなかったのです。
私の場合は、会社倒産とともにフリーになりました。貯金が尽きる恐怖と常に戦っていました。お金がないからどんな仕事でも受けなきゃ→タダでも実績になるならやらなきゃ→マジでお金がない!さらに仕事を…の無限ループに入り、ある日突然倒れました。
日々に追われる状態になると、大きな目標を目指す下地などできません。
やはり最初から「絶対お金をもらう、格上でも関係ないね」という姿勢でいくのが間違いないでしょう。
いやいや無理!という私みたいに気弱な人は、パパ(アウトソース含む)が資産家とかじゃない限り、いきなり独立ってのはやっぱりやめたほうがいいのでしょう。