出版プロデューサーが嫌われる理由
タイトルからして盛大なブーメランです。自分もこれを生業にしていたワケですから…。ということで、自戒を込めての記事です。
私は編集者でもありますので、そっちの立場で言えば、出版プロデューサーが噛んでいる本は作りたくないなぁという話です。
素人が多い
出版プロデューサーと名乗ってはいても、実は出版に関してまったくの素人だったりします。ビジネスコンサルタントがブランディングの一環として、出版の相談も受けるというケースも多いです。
本を最低一冊でも出しているならまだしも、一冊の出版実績もない人もいます。つまり、出版の事情は何一つ知らないまま、出版の相談にのっているのです。
出版プロデュースを生業にするのに、当然ながら資格はいりません。あなたも私も、名乗りさえすれば今日からできます。
では、出版の知識がない、あるいは経験の少ない素人の作った出版企画書が、なぜ出版社の企画会議をすんなり通過するのか? そこにはこんな事情があります。
例えば、著者がある程度まとまった冊数、自著を買い取ることを約束していたり、本を書けるかどうかに関わらず著者自身の本業の実績が高かったり(人気や知名度が高いだけで売れると考えられる)、出版社の上層部がプロデューサーと仲良し、などのパターンがあります。
特に、上層部とプロデューサーとが仲良しケースは、現場にとってかなり厄介です。やべーやつです。
なにせ、素人同然の企画が編集者に「これ、うちで出すから」の一言で丸投げされます。
編集者も困るのですが、著者も同じです。
プロデューサーに数十万~百万円以上払ったのだから、あとは何とかしてくれるのかと思いきや、出版が決まったと同時にさようなら。
右も左もわからないのに、ひとりで原稿を書き上げなければならないのですから。
企画書の内容はプロデューサーが見栄えよく作ったものです。
蓋を開けてみたら、著者にとっては専門外だったり、まったく書けない内容だったりするのです。これが判明した時、編集者にとっては修羅場です。
それでも、社長が出せといったら出さなければなりません。
こうなると、やむを得ずライターを雇うことになることが多いですね。
この段階でヤバい著者は、自分が書けないにも関わらず、ライターと印税折版なんて嫌だとゴネはじめます。地獄のショータイムと言った様相を呈してきます。
ライターが入ってくれたとしても、今度はライターがかわいそうです。
なんのコンテンツもない著者だと、ライターが自分で一から調べて一冊書き上げないといけません。それで報酬はスズメの涙(印税折版が多いです)
誰の本だかわかりません。
気の毒なライターに、それでもダメ出しをしながら進行する編集者。一体誰のための本なのか?自問自答しながら…。
ようやく本ができたら、出版プロデューサーが「成果報酬もらいます」と印税の一部を持っていくパターンもあります。
そして「この本は私がプロデュースしました!」と、実績一覧に付け加えられます。
「プロデューサーは、なんの努力もなしにおいしいところだけ持っていくハイエナ」
プロデューサーの立場でも、編集者の立場でも、その言葉の意味はよく理解できました。
しかし、反論の言葉も浮かびます。
プロデューサーがいなければ、決して世に出なかった企画もあるでしょう。
それに、間に入っておいしいところを持っていく、と非難されるなら仲介業自体が否定されることになってしまいます。
それでも、これから本を出したい人にいうなら、プロデューサーは使わないほうがいいと思います。
できる限り自分で企画を練って、出版社と直接交渉すれば、なんだかよくわからないまま翻弄されることもなく、自分で手綱を持っていられます。