【感動ポルノ】本を出したければ苦労してなきゃいけない?んなこたぁない
本を出したいという女性から、こんな相談を受けました。 私、それほど辛い体験がないんです。夫も両親も健在で、大切な人を亡くしたこともありません。大きな病気もしたことがないし、これと言った苦労もなくて。こんな私が本を書く資格はないのではないか、と思うのです。 彼女はスピリチュアルカウンセラーなので、苦しい人に寄り添って癒す本を書きたいそうです。でも、「どん底や絶望を味わっていないあなたなんかに、私に苦しみはわからない」と言われるのではないか?と。 およそ3年前のことです。私は、彼女が納得できる答えを提示できませんでした。なぜなら、私も同じような悩みを抱えていたからです。 でも、今ならはっきり言えます。「資格なんて必要ありません!」 著者のプロフィールには高確率で「どん底」を体験し、そこから這い上がった経験が書いてありますよね。 日本には(海外は分かりませんが)、「苦労した人ほど素晴らしい」という価値観があります。死を思うほどの経験をしながら、今語れている人は、それだけで苦しみから生還したことを証明しています。這い上がった強さや、辛い人の気持ちが理解できるから優しさもあるかもしれません。「苦労した人は人として深みがある」というのはきっと間違いないと思います。 しかし、苦労していなければ、人を癒す本を書く資格はない、というのは違います。 同じ苦労をしていれば、「共感」により、癒すことができるでしょう。しかし、共感だけが、人助けではありません。癒す「方法を知っている」ことだけで、とても大きな価値です。 例えば、被災地でボランティアをする人は、みんな自分も被災経験があるわけではありません。それでも、多くの人がボランティアの方々のおかげで助かっています。みんな労働力や知恵、技術、様々なものを持ち寄って、人を救っています。「助けたい」その気持ち以外に、参加する資格はいらないのです。 私もかつて「苦労していないとダメ」「だから私はダメ」という思考に陥っていました。しかし、ある経験から、この考えに疑問を持つようになりました。 ある女性著者がプロフィールに、大病から生還したと書いていました。「○○さん、ご病気されていたとは知りませんでした。もうすっかり良いのですか?」と尋ねたところ…「ああ、それ嘘!だって、苦労した人の話じゃないと、みんな聞かないじゃない」これを聞いて初めて、「この考え方おかしくないか?」と考えるようになったのです。 直木賞を受賞した島本理生さんの「ファーストラヴ」は心の痛みを扱う作品なのだそうです。テレビのインタビューで「作品への共感の声から、見た目には分からなくても痛みを抱えている女性が多いことがわかった」というようなことをおっしゃっていました。 誰から見ても苦労に見える苦労だけが苦労ではありません。例えば、家族の誰かが「すぐ不機嫌になる」だけでも、家族にとっては大きな苦痛です。肉体への虐待がなくても、態度や言葉だけで大いに人は傷つきます。何も苦労していない人などいません。 「あなたに私の何がわかる」という声は、確実にあるでしょう。でも、そもそもわかるわけがないのです。「人を癒したい、救いたい」という思いを表に出すことを止めないで欲しいと思います。